メンヘラな僕が生きる理由

1度も正社員を体験した事がない、30歳鬱病患者のブログ。

僕が病院の指示以外の事を一生懸命やる意味。

 僕は、このまま処方された薬を服用しているだけでは、根本的な解決にならない事は薄々気が付いている。鬱病に処方される薬はドレもダウナー系で、飲むと体にだらりと力が入らなくなり、頭もぼーっとして考える事が困難になっていく。

 鬱病には、「内因性」と「外因性」があるが、完全なる「内因性」は恐らく存在しない。

 僕の場合は、「内因性」だと思われるが、外因的要素も、鬱病の時代を耐えれば耐える程付与されていった。

 

 例えば、鬱病になって、強い薬を飲んで、その結果、

 

「まとまった勉強が出来ず、学校にもしっかり通う事も出来ず、まともな学歴がない」

 

「他人とのコミュニケーションが怖く、人と話す訓練期間を大きく逃してしまった」

 

「当然の事ながら恋人など居ない。ずっと居ない。(たかが恋人などと思わないで欲しい。普通の人が普通にこなせる事が出来ない事は、とても劣等感を生むのだ)。」

 

「アルバイト等で社会に触れあう時間を設けられなかった為、社会と自分の間に大きな壁があるように感じる」

 

「就職活動をした事がない。その結果が、30歳の年齢になったにも拘らず、正社員の経験がないわけだ。(とは言え、周りが就活をしていた時期が僕の人生に於いて、最も病状が重かった時期なので、就職なんてしていたら、人を殺していたかもしれないし、自殺していたかもしれない)。」

 

「当然貧乏である。資本主義社会に於いて貧乏であるという事は、それだけで弱者たり得るファクターである為、堂々と立ち振る舞えない」

 

 等々、非常にマイナスな要因を”鬱病のクソッタレ野郎”につけられた。

 鬱病のせいにでもしないと、これら全てが自己責任だなんて考えてしまうと、僕はこんなブログの記事なんて書く事もなく、自殺しているだろう。病気を隠れ蓑にしている自覚はあるが、しかしだからこそ今生きているのだ。(それが良いか悪いかはまた別の話)。

 

 さて、病気の治療の為に、これだけ沢山のモノを失って、

 

「年齢だけを重ねていった」

 

 もう若くないのに、”欠点が増えていくだけ”である。

 

 ――――もしもの話をしましよう。

 

 

 今この瞬間、鬱病が治って、全ての薬が不要になって、健常者と同じように生きていける体(脳)が手に入る!! やったぞ!!

 

 実際それで手に入ったとする。

 

 ……そこで必ず思うだろうことは。

「何だこのダメ人間。まさに人間の屑じゃないか!! 俺ってこんなにも劣った人間だったのか。何のとりえもない、ただ生きているだけの、産業廃棄物同然の存在じゃあないか!!」

 

 強い劣等感、無力感、罪悪感、周囲の人間への羨望・嫉妬がごちゃ混ぜになって、自分を責め立ててくるでしょう。

 

 それが、

 

 

 原因となって、

 

 

 

『外因性うつになるでしょう!!!!』

 

 

 

 は???

 

 なにこれ???

 

 だけどこれがきっと現実なのだ。目をそらしたいような推測だが、きっとこうなるような気がする。

 

 だからこそ、僕は病院で出された指示以外の事を必死にやる。命がけでやる。

 

 この、「脱鬱病⇒外因性鬱病」ループから抜け出すには、自分だけのストレングスを持つ他ないのではなかろうか。

 

 いや、強みじゃなくても、「とりえ」でも「生きがい」でも良い。「探求心」とか、「代えがたい友人」でもいい。

 

 兎に角、「病状が回復した時に、病気が治っているだけの何もないダメ人間が残ったぞ」という状況になってはならない。

 

 だからこそ、僕は病院で「こうしなさい」と医者に言われても、医者には告げず、自分がやろうと決めた事をしっかりとこなしたい。

 他の、精神障害を抱えて闘病している人に、この記事が読んでもらえればありがたい。